Museum of Materia Medica, 民族薬物資料館

世界の伝統医学・伝承医学

世界の3大伝統医学

  伝統医学では、生命を「肉体、感覚、精神、魂の結合体」と捉え、健康とは「身体的、知的、社会的、倫理的、精神的に調和のとれた幸福である」と定義する。世界の3大伝統医学には、中国医学、インド医学(アーユルヴェーダ)、ユナニー(グレコアラブ)医学がある。これらの伝統医学では、病気の因果関係を主として自然的病因に帰している。伝統医学では、その医学独自の理論が確立されており、原典が明確であり、教育体制が整っており、専門の医師により治療が行われることが特徴として挙げられる。伝統医学に対し、口伝で伝えられてきた医学を伝承医学と称し、区別する場合がある。伝承医学では、経験を基に治療が施される。患者が自ら薬を使用することもある。

中国医学と漢方

 中国医学は古代中国の思想を基に発展してきた伝統医学で、病気にならないように健康な体を保つこと、すなわち「未病を治す」ことを基本理念としている。一方で、病気の治療方法には、食事を主体とした食物療法、湯液を用いた薬物療法、鍼・灸・按摩による物理療法等がある。
この中国医学が中国文化と共に日本に伝わり、特に江戸時代に後漢の時代の医方書である『傷寒論』並びに『金匱要略』に記載されている処方に基づいた薬物療法が広まったことから、漢方と呼ばれるようになった。両医学ともに、陰陽五行(木火土金水)の理論を基本としているが、それぞれの気候風土や人間の体質等により異なった変化をたどった。薬物療法に用いられる生薬には、薬味薬性という概念があり、それぞれ五味(酸苦甘辛鹹)と五性(涼寒平熱温)に分けられる。
中国医学の古典としては、基礎理論に関する書物の『黄帝内経素問・霊枢』、本草書の『神農本草経』、医方書の『傷寒論』や『金匱要略』などが有名である。
現存する最古の本草書である『神農本草経』は、漢代に著され、薬物療法に使用する365種類の生薬を、上、中、下の三品に分類して記載している(三品分類)。唐代には、中国最初の勅撰本である『新修本草』が編纂された。これらの本草書は、先人の文章に続いて、新たな知見を記述する積み重ね方式をとり、宋代の『証類本草』へと引き継がれていった。
一方、明代に李時珍が『本草綱目』を著し、各薬物をこれまでの三品分類の形式にとらわれず、自然分類を採用してまとめあげた。『本草綱目』は江戸時代に日本に伝わり、それ以後の日本の本草学に大きな影響を与えた。
医方書の『傷寒論』、『金匱要略』は漢代に張仲景により著され、現在の日本の漢方医学にも大きな影響を与えている。唐代の医方書では、『外台秘要』、『千金要方』や『千金翼方』が有名である。
金・元の時代に劉完素、張従正による発汗、吐下を主体とした劉張医学と、李杲、朱震亨による強壮、滋養を主体とした李朱医学が発達する。これらが、現在の中医(中国医学)の基礎となっている。

インド医学(アーユル・ヴェーダ)

 インド医学はアーユル・ヴェーダ「Ayurveda」と呼ばれ、寿命を意味する「Ayus」と知識を意味する「veda」の複合語であることから、「生命の学問」と翻訳される。単に病気を治すのではなく、生命にとって何が有益で何が不益であるか、さらには幸福な人生、不幸な人生とは何かまでを追求する。
 アーユル・ヴェーダはBC1,000年頃、遊牧民族のアーリア人がガンジス河下流域に進出し、古代インダス文明の担い手であったドラビダ系の民族と融合した時期に、『アタルヴァ・ヴェーダ』の副ヴェーダとして展開したとされる。アタルヴァ・ヴェーダには呪術、魔法に用いられた呪文や祈祷句が集録されており、その中に治療を目的とする呪文も含まれていた。アーユル・ヴェーダもその起りは呪術的、経験的であったことから、アタルヴァ・ヴェーダに準ずるものとされたのである。

1) 健康の概念
 アーユルヴェーダの独特な理論によれば、人体はドーシャ、ダートゥ、マラの3要素からなる。自然界は5つの元素(マハーブータ)すなわち空、風、火、水、地からなり、空と風の元素からなる(性質をもつ)ヴァータ、火と水の元素からなるピッタ、水と地の元素からなるカパの3体液が人体を巡っている。これら3体液をアーユルヴェーダではトリ・ドーシャと称する。ほとんどの人はどれかのドーシャが優勢になっており、わずかな不均衡がその人の体質を特徴づける。体質は個性を示すと同時に病気への罹り安さも表している。
 3つのドーシャはさらに15のサブドーシャに分けられており、それぞれ存在場所と機能が決められている。疾病は15のサブドーシャの機能の悪化がもたらす3つのドーシャのバランスの崩れとも捕らえることができ、一般にヴァータの不均衡は呼吸器系疾患、精神・神経疾患、循環器障害をもたらし、ピッタの不均衡は消化器系疾患、肝・胆・膵疾患、皮膚病を、カパの不均衡は気管支疾患、糖尿病や肥満、関節炎、アレルギー症状をもたらす。
 このトリ・ドーシャは時間軸でも変動するとされ、1日で見ると朝(6時~10時頃)はカパ、昼(10時~14時頃)はピッタ、午後(14時~18時頃)はヴァータがそれぞれ優勢になり、その後夕方から翌朝まで4時間毎に、カパ、ピッタ、ヴァータの順で優勢になる時間帯が変わる。一年においても、原則的に春はカパが悪化し、夏はヴァータが蓄積、秋はピッタが悪化し、冬はカッパが蓄積し、雨期はヴァータが悪化し、ピッタが蓄積する。 人の一生においても若年期はカパ、青壮年期はピッタ、老年期はヴァータが増大するとされる。ダートゥは身体を維持するために必要な身体構成要素で、乳び(体液)、血液、筋肉、脂肪、骨、骨髄、精液の7要素からなる。マラとは汗、尿、便による排泄物を指す。アーユルヴェーダでいう健康とは、トリ・ドーシャの均衡が保たれ、7つの組織が正常に機能し、人体の老廃物が順調に生成し排泄される状態である。さらに、意思、五感、真我が幸福に満ちているという条件が加わる。

2) 疾病の診断
アーユルヴェーダの診察は問診、視診(望診、聞診を含む)、触診(切診)により行われる。詳細には、脈診、尿検査、糞便検査、眼球の検査、舌の検査(舌診)、皮膚の検査、爪の検査、肉体的特徴の観察により診断が下される。
 脈診は、医師の右手の示指、中指、環指を使って行われ、患者の橈骨動脈の脈を、強く及び弱く圧することによって、深部及び浅部で診る。できるだけ早朝空腹時で沐浴後に行うのがよいとされる。患者が男性の場合は右手の脈、女性の場合は左手の脈が診られる。ヴァータの状態は示指に、ピッタの状態は中指、カパの状態は環指に触れる脈に反映される。ヴァータの典型的な脈は蛇のようなニョロニョロした動的な脈または鉄線のような脈、ピッタの典型的な脈は蛙のようにピョンピョンと跳ねるような脈、カパの典型的な脈は白鳥のようなゆっくりとした力強い脈、トリ・ドーシャがすべて悪化している状態ではキツツキがつつくような脈であるとされる。深部の脈は先天的な体質を反映し、浅部の脈は現時点のドーシャの状態を表しており、両者を比較することによって不均衡になっているドーシャを診断する。
 尿検査では早朝尿が検査の対象になり、2段階で検査が行われる。始めは、そのままの尿について色や透明度を検査する。ヴァータが優勢な時は薄黄色で油状の外観を持ち、ピッタが優勢な時は黄色味が強く赤や青色がかって油のように見え、カパが優勢な時は白くて泡が多く淀んでおり、トリ・ドーシャがすべて悪化している時は尿が黒みがかる。次に、尿に1滴のゴマ油を摘下して、油の広がり具合、動く方向、広がった後の形状などを観察する。ヴァータが優勢な時は蛇、ピッタが優勢な時は傘、カパが優勢な時は真珠の形状になるとされる。
 舌の検査では、舌が冷たく粗く亀裂がある場合はヴァータの悪化、舌の色が赤いか紫色の場合はピッタの悪化、白苔がある場合はカパの悪化、舌が黒く刺があるように見える場合はトリ・ドーシャがすべて悪化していると判断される。

3) 治療方法
 アーユルヴェーダの治療には大きく分けて2つがあり、1つは増大した病因要素〔ドーシャ、アーマ(未消化物)、マラの要素〕を排泄、浄化する減弱療法(排出療法)で、残りの1つがドーシャのバランスを食事、薬、調気法や行動により元に戻す緩和療法(鎮静療法)である。
 減弱療法ではパンチャカルマと呼ばれる経鼻法、催吐法、瀉下法、浣腸、発汗法からなる浄化療法が有名で、これが種々の病気の根本療法であるとされる。
食事でドーシャのバランスをとる場合、ヴァータ、ピッタ、カパがそれぞれ優勢な時にゴマ油、ギー、蜂蜜が与えられる。
一方、治療法はダートゥに対する効果によって2大別される場合があり、これには過剰に溜まった組織要素を消費させる絶食療法と減少した組織要素を補う栄養療法(滋養療法)がある。
さらに、乾燥法、発汗法、油剤法、動きを止める療法(止血など)の4つの方法を加えて計6つの方法がとられる。
アーユルヴェーダで行われるあらゆる薬、食事、飲み物、摂生法はこれら6つの方法に分類される。
薬として天然に由来する動植鉱物からなる生薬が用いられる。アーユルヴェーダで使用される生薬は約2,000~2,500種類あるが、これらの生薬には各々特徴的な薬効(カルマ)が存在する。
それと同時にトリ・ドーシャに対する作用、ダートゥへの作用、ある種の生薬ではマラへの作用も各々決まっている。
食物や飲み物も生薬に準ずる。これらの薬効を決めているのは、生薬の味(ラサ)、薬力源または潜在力(ヴィールヤ)、属性(グナ)、及び消化後の味(ヴィパーカ)で規定されるトータルの能力である。
味は2つの元素が結合して生じたものとされ、甘(地と水)・酸(水と火)・鹹(地と火)・辛(風と火)・苦(風と空)・渋(風と地)の6種類からなる。
薬力源には温・冷・温でも冷でもないものがある。属性には寒・熱・油・乾・重・軽・鈍・鋭の8種類またはこれに滑・荒・固・液・軟・硬・静・動・微細・粗・粘凋(濁)・清澄(純)を加えた20種類がある。
消化後の味には甘、酸、辛があり、消化中にこの3段階の順で変化する。生薬の味はドーシャへの作用の仕方に、薬力源はドーシャへの作用と個々の薬効に、代謝後の味は生薬の味や属性と関連しながらドーシャ、ダートゥ、マラへの作用を規定する。
 疾病には原因(ドーシャの悪化)があり、症状(炎症、浮腫など種々がある)と属性を有しているので、それらの治療にはそれぞれのドーシャのバランスをとる生薬、症状を治す生薬、反対の属性をもつ生薬をその時々で考えて使用する。これらの生薬は単味で用いられる場合もあるが、処方(ヨガ)にされる場合も多い。処方には通常名前が付けられており、それらは処方箋に書かれている最初の生薬に基づいて、処方の考案者の名前によって、処方に配合される生薬の数または生薬の割合に基づいて、あるいは処方の治療効果に基づいて命名される。
これらの処方は種々の剤形で用いられる。
 主な剤形には液剤(スヴァラサ)、焙焼搾汁液(プタパク)、散剤(チュールナ)、茶剤(パーンタ)、煎剤(クヴァータ)、練剤または ペースト(カルカ)、乳剤(クシーラ・パーカ)、冷浸剤(シータ・カシャーヤ)、舐剤(アヴァレーハ、プラーシャ、カンダ)、油剤または薬用油(タイラ)、薬用牛酪油(グリタ、ギー・グリタ)、酒製剤(アーサヴァとアリシュタ)、丸薬(ヴァティー)または錠剤(グティカー)、大型の丸薬(モーダカ)、長効丸薬(ヴァルティー)、灰化エキス剤(クシャーラ)、焼成(バスマ)、宝石の粉末剤(ピシュティー)、金属から調整される製剤(ポーッタリー)、鱗片製剤または鱗状剤(パルパティー)、昇華法で調剤された薬(クーピーパクヴァ・ラサーヤナ)、眼薬またはコリリウム(アンジャナ)、蒸留法による製剤(アルカ)などがある。

4) 医典
 『チャラカ・サンヒター』:チャラカ(2世紀頃カニシカ王の侍医をしていた人)著。内科学を主体とした書で、スートラ・スターナ(治療手段、食事療法、医師の義務等に関する総論)、ニダーナ・スターナ(8種の主要な病気について)、ヴィマーナ・スターナ(味覚、栄養、一般病理)、シャリーラ・スターナ(解剖学、胎生学)、インドリヤ・スターナ(診断学、予防診定)、チキツァー・スターナ(特殊な治療法)、カルパ・スターナ(一般治療学)、シッディ・スターナ(一般治療学)の8篇から構成される。
 『スシュルタ・サンヒター』:スシュルタ(4世紀頃の人)著。本書はスートラ・スターナ(総論)、ニダーナ・スターナ(病理学)、シャリーラ・スターナ(解剖学、胎生学)、チキツァー・スターナ(治療法)、カルパ・スターナ(毒物論)、ウッタラ・タントラ(補遺: 眼科学その他)からなり、ヘルニア、白内障、形成外科などの外科を論じていることに特徴がある。
 『アシュターンガ・フリダヤ・サンヒター(八支心髄集、医学八分科精粋便覧)』:ヴァーグバタ著。7世紀にヴリッダ・ヴァーグバタ(老ヴァーグバタ)により編纂された『アシュターンガ・サングラハ』を継承した書。
次の8分科(アシュターンガ)が示される。
(1) 一般外科学(異物の摘出。腫瘍及び膿瘍の治療)、
(2) 眼科・耳鼻科学(外部器官―眼科、耳鼻科など―の病気の治療)、
(3) 内科学(身体全般における病気の治療)、
(4) 精神医学(悪魔に取り憑かれた病気の治療)、
(5) 小児科学(小児病の治療、分娩産褥期の保護など)、
(6) 毒物学(解毒剤の投薬)、
(7) 健康延命法(科学、特に錬金術的な処理を含む。健康延命法)、
(8) 強精法(精力増強法。催淫剤と性的若返りの研究)である。
この内(1)から(6)までが病気の治癒を目指す治療法で、(7)と(8)が予防医学となる健康人のための治療である。
なお、アーユルヴェーダの学問分野には解剖学と生理学、診断学、薬剤の知識と薬物学、婦人病と女性心理学、獣医学などもある。

ユナニー医学

 イスラム文化圏で行われている伝統医学は、主にユナニー医学(ギリシア・アラブ医学)である。ユナニーとは「ギリシアの(Ionian)」という意味のアラビア語に由来し、その起源はギリシア医学(ヒポクラテス、テオフラテス、ディオスコリデス、ガレヌスなどが有名)にまで遡ることができる。ギリシア医学はアラビアに伝わった後、アラビア人の支持者によって大きく発展した。支持者の中でもアル・ラージ(Rhazes, 864-930年)、イブン・シーナ(Avicenna, 980-1307年)、イブン・アル・バイタール(Ibn Al-Baitar, -1248年)などが特に有名である。アラビア人は伝統医薬を守り、薬物に関する教育及び実践に励み、数百年にわたってこの医学体系は中東、東南及び中央アジアで繁栄した。現在、ユナニー医学はパキスタンやインドにおいて広く行われている。
この医学の基本はヒポクラテスのいう四体液理論である。人間の身体内に四つの体液、すなわち血液、粘液、黄胆汁、黒胆汁が存在することを前提にする。身体は次のものから作られているとみなされる。
① 要素(元素)(Arkan):身体の基本的な構成要素を含む。自然界に存在するものは空・火・土・水の四要素から構成され 、ある法則に則って運用されている。
② 気質 (Mizaj):身体の物理化学的な面を含む。自然界に存在するあらゆるものが気質を持つ。
③ 構成的要素 (Akhlat):身体の体液を含む。
④ 完全に発育し成熟した器官 (A’da):身体の解剖学を含む。
⑤ 活力または生命力 (Ruh):活力、生命力。
⑥ 体力 (Quwa):エネルギー。
⑦ 肉体的な機能 (Af’al):生化学的な過程を含む身体の生理学を包含する。

 これらの内、気質はユナニー医学で重要な位置を占め、病理、診断、治療の基礎になっている。各々の体液の優位性に応じて、患者の気質は多血質、粘液質、胆汁質、憂鬱質と表現される。現代的にいえば、各個人の気質によって異なる精神・神経・内分泌システムをもつことに等しい。気質に変化が生じると、個人の健康状態にも変化が興る。病気とは体液の不均衡状態またはその調和の乱れた状態であり、病的状態を除去するために身体のある器官が機能不全に陥ることをいう。 四つの体液にはそれぞれ気質がある。体液の物理的な気質としては、血液は熱くて湿っており、粘液は冷たくて湿っている。黄胆汁は熱くて乾いており、黒胆汁は冷たくて乾いている。薬にも気質があり、これらの気質には程度の違いがある。ある薬の気質は、その薬が身体の気質に及ぼす作用によって決められる。すなわち、「熱い」とされる薬は身体に入って機能(活力)と相互作用を起こし、熱い気質を作り出すのである。したがって、薬は原則として、身体または特定の組織や器官の気質が異常をきたし病気になったときに、それを治し補正するために用いられる。
  ユナニー医学で用いられる生薬の80%は植物性であり、他に動物性及び鉱物性生薬がある。有名なイブン・アル・バイタールの薬物書には2324項目の生薬が記載される。生薬は単体で用いられるもの(Mufradat単体形)と数種を混合し、複合体として処方されるもの(Murakkabat複合体形)がある。生薬製剤には次のような種類が挙げられる:Aqras(錠剤、トローチ剤)、Dawaul-Misk(麝香入り製剤)、Hubb(丸剤)、Itrifal(ミロバラン練り薬)、Jawarish(消化剤、健胃剤)、Khamira(バラやスミレの保存剤)、Kuhl(点眼剤)、Kushta(カルシウムコーティング剤)、Labub(練り薬の一種)、Lauq(口中で徐々に溶解させる練り薬)、Majun(蜂蜜入り練り薬)、Marham(軟膏剤)、Mufarreh(興奮剤)、Murabay(保存剤)、Noshadru(解毒剤)、Sherbat(水薬)、Shiyaf(座薬)、Sununat(歯磨き)、など。
  ユナニー薬物(生薬)の性質は、患者に投与された時の反応から(ユナニー医師が判断)9種に分けられる。すなわち、緩和性、熱性、寒性、湿性、乾性、これらの増強型及び混合型である強熱性、強寒性、熱乾性、寒乾性である。緩和性の薬物は服用しても身体の状況や性質に変化をもたらさない。一方、身体に明らかな変化をもたらす薬物による作用は、熱、寒、湿、乾、強熱、強寒、熱乾、寒乾性のいずれかに相当する。緩和性を除いた8種類の性質はさらに4度に分けられる。例えば、ユナニー薬物が体内の機能を整えるための変化をもたらし、その変化が感じられない程度であれば第1度に分類される。ユナニ薬物による変化が身体で感じられ、無害であれば第2度とされる。その作用が有害でありながら作用を示し、致死的ではない場合を第3度という。数種のユナニー薬物は有毒であり、薬の悪影響が見られる。これらは第4度に値する。具体例は以下のとおり

熱性第1度:Asparagus racemosus, Onosma bracteatum, Matricaria chammomilla, Aloe barbadensis
熱性第2度:Blepharis edulis, Apium graveolens, Crocus sativus, Swertia chirata, Trigonella foenum-graceum
熱性第3度:Delphinium denudatum, Valeriana hardwickii, Cuscuta reflexa, Ocimum sanctum
熱性第4度:Alium cepa, Alium sativum, Vitis vinifera, Ferula asssafoetida
寒性第1度:Viola odorata, Acacia nilotica, Tinospora malbarica, Cichorium intybus
寒性第2度:Olea europea, Quercus infectoria, Plantago major, Lactuca scariola
寒性第3度:Portulaca oleracea, Catharanthus roseus, Tamarix gallica, Atropa acuminata
寒性第4度:Papaver somniferum, Datura stramonium, Trachyspermum ammi, Physalis alkekengi, Verbascum thapsus
乾性第1度:Glycyrrhiza glabra, Polygonum vulgare, Sphaeranthus indicus, Foeniculum vulgare
乾性第2度:Valeriana jaeschke, Thymus serpylum, Colchicum autumnale, Raphanus sativus, Myristica fragrans, Zingiber officinale
乾性第3度:Daemomorhops draco, Doronicum hookeri, Nigella sativa, Hyoscyamus niger, Hyssops officinalis, Caesalpinia bonduc, Syzygium jambos
乾性第4度:Datura fastuosa, Euphorbia resinifera, Alium ascalonium, Moringa pterygospernia
湿性第1度:Ocimum basilicum, Prunus cerasus, Alhagi maurorum, Althea officinalis, Lallemantia royleana
湿性第2度:Amaranthus caudatus, Asparagus adscendens, Nymphea lotus, Plantago ovata
湿性第3度:Citrus aurantium, Citrus limentta
緩和性:Punica granatum, Adiantum capillus-veneris, Cordia latifolia, Zyzyphus vulgaris

    参考文献
  • 富山医科薬科大学和漢薬研究所主催、国際伝統医薬シンポジウム・富山(1993年)、講演集, pp.53-65, 171-183.
  • WHO (R.バンナーマン、J.バートン、陳文傑)責任編集、津谷喜一郎訳、『世界伝統医学大全』、平凡社、東京、1995.
以上、小松 かつ子記

タイ古医学

Background
Occupying an area approximately 514,000 sq. km., Thailand now inhabits the central large river basin where all its ancient kingdoms were located, the north mountainous areas most of which are still not easily accessible, the northeast plateau (I-san) which could be dated back to the ancient bronze civilization, and the southern which is narrowed by the two coastal lines towards the Malay Peninsular. The society which appears to be homogeneous by all measurements is also regarded as a big melting pot of diversity. Prior to establishment of the first kingdom of Sukhothai on the early of the 13th century, the area was influenced by the Bhramic and Hindu faith which was practiced by the predominating ancient Khmer civilization. Thai has been taken on Buddhism as major practice in daily life since the settlement of Ayudhaya as the second kingdom. Despite the religious freedom, the Buddhist practice has since then contributed greatly to Thai philosophy, life and living attitudes, which in tum permits the existence of other ethnic faiths.
The Indochina Archipelago which the country is located on is the southeastern comer of the Eurasian continent and the southwestern part of the East Asia. Undeniable, it is a land bridge between the two continents, as well as the two oceans. The city of Malacca at the very end of the Malay Peninsula has also been a key port of the maritime traffic connecting the East and the West. Up to the north, there was the Silk Road, a world class inland trail ofancient trade that also linked the East and the West. Omitted the present boundaries, these two routes were complimentary and could get through each other by means of the Mae-Khong River via the northern port of Chiang Saeng, down through the Chaophraya River where all the past capitals were situated, the Gulf of Siam, and all the way to the narrow Strait of Malacca. Consequently, this connection experienced Thai capitals as centers of goods exchange and multicultural societies for centuries. Being on the belt of tropical rainforest, the Indochina is a fertile territory and home to numerous life forms. Since its land is entirely linked into one, many of the flora and fauna thus are widespread or transferable among the neighboring Southeast Asian countries. The geographical diversity of Thailand also provides different ecological systems contributing to its biodiversity. The wealth of natural resources also flourishes the settlement of Thai, as well as other diverse ethnics, and the development of applications on utilizing these surrounding assets.
For centuries, the country is considered relatively non-violated. Accordingly, its heterogeneous prosperity of all aspects has been integrated into one pot of Thai uniqueness. Their intellectual creativity and traditions are congregated as national heritage. All these features have become a social foundation attributing to the dynamic practice of Thai at present globalization atmosphere.

The Development and Practice of Thai Traditional Medicine
Thai health care system, in terms of traditional medicine and folkloric practice or ethnomedicine, is a reflection of its background. The official mainstream of practice was assumed to employ the system of Ayurvedic, but major differences are noticed by close comparison. Discussed by Chumpon (2002), the fundamental of Thai traditional medicine is likely to stem from the Buddhist concept of life, as it is composed of four basic elements, not five as those of the Ayurvedic and Unani. However, they are similar in the theoretical frame in maintaining the balance of these basic elements with respect to intrinsic and extrinsic dynamic factors, and of disease etiology and treatment.
In brief, Thai traditional medicine is a customized system, based on Buddhist philosophy and selectively merged to other systems of traditional medicine, mainly the Ayurvedic with an addition of the traditional Chinese system, and a blend of westernization as early recorded as the Ayudhaya period of King Narai the Great who actively and successfully involved on international affairs. The wealth of the country indigenous natural resources, climate or environmental factors, and prevalence of aliments have largely added up to develop the uniqueness of Thai traditional system of medicine, as well as to foster the folkloric or household utilization of natural medicines in the rural and remote communities. These two lines of practices had been passed onto the successive generations, however it is unfortunate that many of those valuable records were destroyed in regards to the victory of its neighbor over Ayudhaya in 1767.
After the Ayudhaya, attempts had been made to renovate all aspects of the nation, which include the traditional health care system. As a result, the retrieved knowledge obtained from both the royal and folkloric was inscribed accordingly the royal command onto the wall of the temple of Wat Po and continued to Wat Racha Orot, both of which remained in function as study materials of Thai traditional medicine. Many of the traditional medicine literatures nowadays are derived from these two sites of record. Additionally, Thai medicinal recipes were generally provided as a merit in memory to the provider's late respect or beloved ones. Likewise, the first medical school was founded following the death of an infant son of His Majesty King Rama V, housing the education of both western and Thai traditional medicines. However, the systematic education of traditional medicine declined after it was withdrawn from the medical curriculum. Moreover, the revision of Thai traditional literatures in the following years gave rise to a new edition of the standard volumes of Thai traditional pharmacopoeias, whereas other excluded formularies were left unsupported. A legislation concerning health care practice which was issued in 1923 and categorized or separated the practice into two systems of modern medicine and traditional medicine, further destined the discontinuation of traditional practice which was not included in the system of traditional education. At present, a resurgence of popularity on natural treatment has brought in the systematic and scientific approaches to revitalize the Thai traditional medicine. Included is an establishment of a national committee concerning issues related to the development of natural products as medicines, such as research collaborative circuits, standardization, industrialization, legislation, and management of information system. Education is also available as an applied curriculum, accordingly. However, the practice is still regarded as two separated lines. The first one is a formal Thai traditional medicine whose education is systematic and its practice is recognized as a profession by law. The other is Thai folkloric medicine, the education and practice of which is likely a household self-reliance and is unlawful as an earning profession. Both systems will be mentioned in the following content organized accordingly to the structure of education on the formal traditional medicine.

参考文献

  • Annual Report of Institute of Natural Medicine, University of Toyama. Vol. 32, 2005. pp13-15. Varima Wongpanich, ''Thai Traditional Medicine: An Overview and Overtones''.